井上箔山堂
【講演】2013年6月 井上箔山堂 全国額縁組合連合会にて

2013年6月12日(水)14:00 〜15:00

東天紅 上野本店 全国額縁組合連合会にて

全国額縁組合連合会のセミナーの席で講演させていただきました。

講演は約1時間。司会の富士製額 吉田さんとの対談形式でおこなわれました。
吉田さんとは千住博先生の版画額装よりご縁があり、その後いろいろな事でお世話になっています。

【動画】講演の一部

額縁製作をおこなう以前、上野の浅尾で修復の仕事をしていた頃の話。

<講演の内容>

色々な先生との交流から額縁製作を始めたきっかけ

私が育った千葉県鴨川の隣にある太海と言う小さな漁村は、画家がよく訪れる地でした。そのため、絵を描くということは私にとって身近なことでした。

三浦市三崎で叔父の仕事を手伝っていたころ、鎌倉近代美術館のキュレーター 佐々木静一さん、朝井閉右之門先生との出会いに恵まれ、21歳のときに上野の浅尾で修復の仕事を始めました。
画家になるつもりで勉強していたのですが、自分の絵に付ける額が買えないため見様見真似で額縁を作っていました。

有元利夫さんと会ったのはそのころです。
浅尾の前で皮切包丁を研いでいる時に声をかけられ、有元さんの卒業制作の額縁を作成しました。

その後、私が32歳のころに葉山のアパートで額縁屋を始めるのですが、
額縁を作るきっかけになったのは、今から40年前に西洋美術館でフランスベーコンの『ベーコンからベーコンまで』という展覧会があり、その時に見た額にショックを受け、こういう額縁を使ってみたいと思い始めました。
額縁を作りたいと思ったのは、この時だろうと思います。

千住博先生との出会いは、額縁屋を始めて2年経った頃、千住博先生が、わざわざ訪ねて来てくださいました。確か先生が大学4年生の時だったと思います。

金色よりも銀の方が似合うこと、いずれ日本画の他の有名な額縁屋さんに作ってもらうことを薦めたりもしました。
それから34年経ちますが、私の作る額縁に対して先生は何も言わずに仕事をさせてくださっています。

クラシックなものが珍重されている70年代という時代に
日本の風土にあった技法とシンプルなのだけどマチエルが施されたデザインはどこから生まれてきたのか

額を作るきっかけの技法は、イタリアの画家チェニーノチェニーニの技法書にある『金箔について』という一頁がもとです。

クラシックな額を作る人が多かったので、私はシンプルな額を作ってみただけです。また、その方が当時の若い画家に必要だと思いました。
虫食いやクラック、あるいは割れたような傷などのマチエルも、
“埋もれ木”と呼んでいる海岸に打ち上げられた木のような仕上げなども、
ヨーロッパ、アメリカ、メキシコなどに行く知り合いの絵描きさんに額縁工房の写真を撮ってきてもらっていたことが、そのようなマチエルや仕上げの発想につながったのかもしれません。

井上箔山堂流“いい加減”で、マネできない技法を教えてください。

自分の額縁の特徴を自ら理解するのは難しいですね...。
堅いのが嫌いなので、木地屋に作ってもらったものを更に歪めていくこともあります。
必要だと思えば木地を削って曲げていきます。

あとは、そうですね...、
仕上げは必ず1色ではなく絵を描く様、3色くらいグラシュするとよいかと思います。

また、若い絵描きさんとの交流は刺激になります。今の私のエネルギーになっているのは間違いないですね。

後半、2012年、2013年におこなわれた千住博先生の展覧会のために製作された額縁を元に、製作の発想、技法のことについて質疑応答しながら話は進みました

(発想) 西洋の祭壇縁を普段の絵画に作ることはありませんが、 常々千住先生の画を額装した時に、美の神を感じました。
その美の神が宿る画を納める“社(やしろ)”をイメージして製作しました。

一連の作品の中には 額縁を作っていこうと思うきっかけになったフランシス・ベーコンの展覧会で見た額縁をアレンジして作ったものもあります。

(技法) 螺鈿、プラチナ箔、木地のこと、いぶし、擦り出し、箔下の色など


井上さんにとって額縁とは

額縁とは絵の外側の世界とも調和し、なおかつ絵の中の世界を良く見せるものであると考えています。 ですから、音楽を編曲者がアレンジするように、額縁を作るというのは画のアレンジャーだと思います。

全額連の皆様の長けた技術や材料の工夫、発想について、私もいつか機会があったら聞きたいと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。ありがとうございました。